「マタハラ」をフランスで考える
「健康が仕事よりも大切なのはわかりきっていること。妊婦さんや子供の健康、家族の問題が時として仕事よりも優先されるのは当たり前でしょ」
体調が優れないために予定よりも早く産休に入った同僚について、知人のフランス人女性が発した言葉である(この知人は20代後半でパートナーあり、子供なし)。同僚も彼女も2年契約の仕事でほぼ同時期に入社し、約8カ月後にペアで働いていた同僚が妊娠。引き継ぎが全て終わらないまま、切迫早産で突然産休に入ってしまった。そのフォローのために最初は「ちょっとバタバタ」して、仕事もそれなりに増えたものの、彼女自身、それを特段に何とも思っていない様子である。「女性が出産するのは普通のこと。そもそも産休育休でいないのは半年くらいだし、もし仕事で問題が出てくるとしたらそれはマネージメントの責任よ」と語る。
フランスで理解されにくい言葉の一つに「マタハラ」がある。妊娠や出産によるハラスメントが日本で問題になっていると話すと、フランスでは「信じられない!どうして?」「法律はないの?」などの言葉が返ってくる。日本とフランスでは状況が違う、そもそも社会が性別役割分業を前提としている、法律上は妊娠や出産を理由とする不利益な扱いが禁じられているものの、長時間労働が前提となっている日本では「普通」に働けないと有形無形の嫌がらせを受けることがある、などと説明しても相手は釈然としないのが常である。そして最後には「日本のフェミニズムはどこに行ったの?」とジェンダー研究に携わる者にとってはドキッとするようなことを言われてしまう。フランスでは、マタハラに当たるものは存在しないのだ(妊娠を上司に報告する際に嫌味を言われることはたまにあるらしいが、労働者自身あまり気にしていない)。
どうしてなのだろうか。
まず、マタハラの背景とされる日本の長時間労働と性別役割分担のセットだが、これがフランスにはほぼ存在していないことが挙げられる。労働時間は基本的に週35時間で残業は少なく、大多数が18~19時には職場を後にする。パリ地域に住む場合、もしくは管理職に就いている場合は比較的夜遅くまで仕事をしているが、その場合であっても深夜残業が常態化していることはまず考えられない。5週間の有給休暇は完全に消化するのが前提のため、年の初めには上司が部下それぞれにいつ休暇を取りたいかたずね、調整が行われる。フランス人は「バカンスのために働く」と言われ、長期間のバカンスを取ることで知られているが、それは裏返せば必然的に誰が、いつ休むのかを管理職は常に把握しているということでもある。従って、あらかじめ大まかな予定がわかっている出産予定日や産休・育休期間については十分対応が可能だという考え方であり、実際そのように機能している(但し、一般的に長期の育休を取る人はおらず、期間は数カ月~半年が多い)。加えて、そもそも大多数が定時近くに帰るので、妊婦や子育て中の母親・父親が定時きっかりに帰ったところで、全く目立たないのである。
また、共働きが基本の社会であるという点も挙げることができる。この国で「ワーキングマザー」や「働くママ」という言葉はついぞ聞いたことがない。母親も外で働くのがあまりにも普通で、職場のどこにでも母親がいるからである。保育園は大都市ではそれなりに激戦だが、その他にも家庭保育園、保育ママ、託児所など多種多様な保育の選択肢があるので、子供の預け先に困ることはまずない。また、子供は3歳になる年から無料の公立幼稚園に全員入ることができ(日本の義務教育に準じた扱いである)、幼稚園と小学校には学童クラブが併設されていて18時過ぎまで預かってもらえる。
ちなみに「イクメン」という言葉も聞かないが、それは父親も子供の面倒をみるのが当たり前だからである。フランスでは子供が中学校に上がるまでは保護者の送迎が必須なため、朝晩忙しそうに、そして楽しそうに子供を送り迎えしているお父さんの姿をよく見かける。学校の保護者会や個人面談は原則として夕方以降の時間に行われており、父親の参加率も高い。反対に父親が学校にあまり顔を出さないと、子供の教育に全く関心がないと思われて奇異の目で見られるだろう。共働きが基本で、そして父親が普通に育児をする社会では、妊婦やワーキングマザーが少数派にならないので、マタハラが発生しにくい土壌が醸成されていると言える。ちなみにフランスの合計特殊出生率は2.01であり(2014年)、アイルランドに次いでEU内で最も高い数値である。
このように、マタハラを下支えする長時間労働と性別役割分担の慣行はフランスには存在しない。では、果たしてそれだけが理由で働く妊婦や母親に寛容な環境となっているのだろうか。フランスでの生活実感からすれば、それは否である。
フランス社会はとにかく子供に優しい。そして子供がどこにでもいる。「ヨーロッパでは大人と子供の世界が峻別されていて、大人の領域に子供は立ち入らない」というのはよく耳にする言説だが、よほど敷居の高いリゾートかレストランでない限り、どこにでも子供がうじゃうじゃいるというのが私の印象である。レストランや商店、公共交通機関でも子供が敬遠されることはまずなく、かえって周りの人が子供に話しかけたり面倒をみてくれたりする。お腹に子供がいる妊婦はありとあらゆる場所(スーパーや郵便局、バスなど)で優先される。パリに住む日本人の知人が「パリでは小さい子供を連れての外出でもストレスが少ない」と語っていたが、マタニティマークやベビーカー優先の標識がないと妊婦や母親が安心して外出できない環境とは大きく違う。
しかし、だからといってフランスが子育て天国で、男女平等の社会だというわけでは決してない。男女間の賃金格差は言うまでもなく、家庭内での家事負担は依然として女性の側に大きく偏っている。共働き家庭が多いのは、純粋に経済的な観点から1人の収入で家計を維持していくのは難しいことの裏返しでもある。例えバカンスが多くて日本より勤務時間は短いとはいっても、フランス人も毎朝眠そうな顔でブツブツ言いながら仕事に出かけていき、上司や同僚の不平不満を友達に漏らし、言うことを聞かない子供に手を焼き、疲れた疲れたと言いながら子供の宿題をみている。日本と同じである。ただ言えるのは、男女共に「子供を産み育てながら働く」ことがこの国では極めて自然で当たり前になっているだけである。
要は、社会の中に子供がいるのが普通な環境だからマタハラがない、マタハラがなく働きながら子供を育てやすいからますます子供が増えるという循環になっているのだ。加えて、何よりも大切なものは家族であり、職場を含む社会全体が家族を支えなければならないという価値観-規範と言ってもよい―がこの国には存在しているような気がする。そしてその家族の中には、家族の一員として生まれてくる子供を育んでいる女性も含まれている。ただし、注目すべきなのは、フランスは必ずしも昔から女性が働きやすい社会ではなかったということだ。一昔ほど前までは、フランスでも女性は専業主婦になるのが一般的であり、育児に参加する父親は今の日本の「イクメン」のようにもてはやされていた時代があった。制度や価値観は時代と共にめまぐるしく移り変わる。そう考えると、もしかすると日本におけるマタハラも、いったん社会の潮目―空気が変わってしまえば、解決への道が開け、過去の遺物となる日が来るのかもしれない。マタハラが重大な「問題」であると認識されたのはそのための大きな一歩である。ただしそのためには私たち一人一人が、おかしいものはおかしいと声を大にして日々発信していく必要がある。
EHESS(フランス国立社会科学高等研究院)博士課程 早川美也子