〈論考〉なぜマタニティ・ハラスメントはなくならないのか
マタハラ研究の第一人者であり、マタハラNetの相談事例を専門家として分析してくださっている、埼玉学園大学大学院の杉浦浩美准教授の論考が『アジェンダ 73号』に掲載されましたので、ご紹介するとともに全文を掲載します。
文中に登場する「ケア不在の身体基準」(介護や育児などに従事せず、制約のない働き方ができる状態を指す)ということばが、女性差別の根深さを表現する重要なキーワードとなっています。
マタハラの起こる職場ではダイバーシティどころか労働者の均質性が求められており、職場のニーズに応じられなければ容赦なく排除されてしまいます。
よく言われる話ですが、そのような職場は誰にとっても働きにくいものです。
『アジェンダ 未来への課題』第73号(2021年夏号)
特集 なぜ女性差別はなくならないのか
なぜマタニティ・ハラスメントはなくならないのか
杉浦 浩美(埼玉学園大学大学院准教授)
●職場が女性労働者を排除しようとする仕組み
マタニティ・ハラスメントは、妊娠・出産する女性労働者を職場から排除しようとする圧力装置である。それは妊娠期間中だけでなく妊娠前から始まり、出産後、育児休暇中、職場復帰後といったあらゆる段階で生じている。排除しようとする側も会社組織であったり、上司や同僚といった個人レベルであったり、あるいは職場のありよう(システム)であったりとさまざまである。退職勧奨や解雇、降格、減給、異動命令など「不利益取扱い」という形で、経営側や雇用主の意図的な行為として作動する場合もあれば、上司や同僚からの心無い発言や嫌がらせなど、職場での感情的な行為として出現する場合もある。あるいは「あなたのために」「子どものために」といった形で「善意」を装い、女性の意志を封じこめる形であらわれることもある。組織的な排除行為であれ、あるいは個人的な嫌がらせ行為であれ「妊娠した女性労働者」を「職場にふさわしくない者」とまなざし、その権利を侵害しようとする仕組みに変わりはない。だがそれらは複合的に(複雑に)絡み合っている場合も多く、立ち向かうべき相手が誰なのか(個人なのか組織なのか)、どのように異議申し立てをすればいいのか(法的問題なのか、職場モラルの問題なのか)など見えにくい。被害を受ける側が混乱し、苦しむことになる。本稿ではその「見えにくさ」について、排除される女性の側から考えてみたい。具体的には「(自分が受けている行為が)マタニティ・ハラスメントに該当するか?」という形で相談を寄せてきた女性たちの「声」を手がかりに考える。
以下から用いる事例はNPO法人マタハラNetのメール相談に寄せられたものである。二〇一四年に被害経験のある当事者女性たちが中心となって設立されたこの団体は、現在に至るまで被害者への相談支援活動を行っている。開設から約五年(二〇一九年まで)で寄せられた相談件数は五〇〇件を超えたが、筆者はそのうち二〇一七年までの活動初期三年半あまりの相談事例(二三八件)について分析した。なお分析にあたっては個人が特定されないよう匿名化したデータを用いている(1)。「相談の主な目的」として分類を試みたところ最も多かったのは、相談の目的が明確にあるわけではないがとにかく「誰かに聞いてほしい・誰かに訴えたい」という「悩み相談」的なものであった。二番目に多かったのが「法的な知識・法的アドバイス」を求めるものである。三番目に多かったのが本稿で着目する「職場の行為がマタニティ・ハラスメントに該当するか」という相談で「これってマタハラですか?」「マタハラではないのか?」というような形で問いかけがなされている(2)。この相談活動が始まった二〇一四年は、マタニティ・ハラスメントという言葉や概念が社会的に認知され始めたころであり、テレビや新聞報道で初めて知り、自分の被害に「気づく」という女性も多かったと思われる。その意味でこうした相談が多いと言えるかもしれないが、しかしその中にはかなり深刻な被害事例も含まれている。むしろこれらの相談は「被害」を「被害」として認識しにくい構造を浮かびあがらせているとは言えないだろうか。
●不可視化される差別や排除
「マタニティ・ハラスメントに該当するか」という相談は、一つには「これが正しい会社の対応なのでしょうか」「違法性はないのでしょうか」といったように、自分の受けている行為が法的に問題ないのか知りたい、確認したい、といったものがある。「退職勧奨」「解雇」「契約切り」「降格」「減給」など、会社側の扱いに困惑し混乱した女性たちは、会社側の行為の不当性について確認したいと訴える。法的には男女雇用機会均等法九条三項に「妊娠・出産等を理由とする不利益取扱いの禁止等」が定められており、厚生労働省は「不利益取扱い」の内容について「解雇すること」「期間を定めて雇用される者について、契約の更新をしないこと」「あらかじめ契約の更新回数の上限が明示されている場合に、当該回数を引き下げること」「退職又は正社員をパートタイム労働者等の非正規雇用社員とするような労働契約内容の変更の強要を行うこと」「降格させること」「就業環境を害すること」「不利益な自宅待機を命ずること」「減給をし、又は賞与等において不利益な算定を行うこと」「昇進・昇格の人事考課において不利益な評価を行うこと」「不利益な配置の変更を行うこと」「派遣労働者として就業する者について、派遣先が当該派遣労働者に係る労働者派遣の役務の提供を拒むこと」等、具体的に明示している(3)。だが女性たちの置かれた状況を法に照らせばそれで済むかというと、そう容易ではない(以下、傍線はすべて筆者)。
*(決定していた希望部署への異動が取り消された、という相談)
現在の直属上司に妊娠を告げると、人事権を持つ役員に相談するから「誰にも口外しないで」と言われました。半月後、その役員に呼ばれ、「今回の異動は無かったことにすることが役員会で承認された」と告げられました。「第一の理由は身体が大事だから、第二の理由は組織上の理由」だそうです。
*(妊娠悪阻で業務への配慮と定時の退社を願い出て了承されたが、その後一方的に降格された、という相談)
〇月になって、役職手当、資格手当などの削除を通達され、同意を求められました。理由を求めたところ、妊娠を理由としたものではなく、あくまでもあなたの希望した、職務軽減に対する評価であるとのこと。そこでようやく〇月の中頃から続いてきた、いわれのない圧力に合点がいきました。
*(再三、上司から出産に専念したらどうかと言われている、という相談)
ハラスメント相談室に相談しました。そこで、出産に専念=退職勧奨か聞いてみてほしいと言われました。私は仕事をし、産休、育休も取得したいのですが、部長から(の)出産に専念したら、という言葉が精神的に負担となっております。
「(異動の取り消しは)組織上の変更」「(減給は)職務軽減に対する評価」が「理由」とされ、「退職勧奨」は「出産に専念したら」という言い方が用いられている。かつ社内の相談機関は、「出産に専念」が「退職勧奨」を意味するのか自分で確かめるように、とまで言っている。また、最初の事例にあった「身体が大事だから」という「理由」は、他のケースにもたびたび登場しており「からだのことを思って言っている」「母体の安静が優先」「家族とよく相談して」「赤ちゃんのことだけ考えて」など「あなたのため」「子どものため」「家族のため」という言い方が用いられている。これらの文言は「排除」を「配慮」とすり替えるための常套句とも言える。ある専門職・契約社員の女性は「私の体を気遣いつつ、遠回しに早くやめて欲しいという雰囲気のことも言われている」といい、「企業もコンプライアンスに敏感になっている時代ですので、マタハラの多くは、法に触れないように行われていると思います。そのような場合、どうしたらよいのでしょうか?」と綴る。自分の受けている行為が不当なものであると感じていても、それに抗うことに正当性が付与されるのか、確信がもてない状況に置かれてしまうのだ。
●自責化される被害
法的な問題とは別の次元の相談もある。「不利益取扱い」とは言えないかもしれないが、職場のさまざまな行為に苦しめられている、というものだ。例えば介護職の女性は妊娠を会社に伝えたところ、夜勤をなくすなどの配慮を得られた一方で、男性上司から暴言など嫌がらせ行為を受けているという。看護職の女性は夜勤の時短が認められたが、同僚からの反発を受け困惑している。このように、会社は認めてくれたのに上司が、あるいは上司は応援してくれているのに同僚が、といったように私的な(個人)レベルで向けられる行為に苦しむ場合も多い。
*(三〇代後半の管理職。昇格して一年での妊娠を上司から責められている、という相談)
体調不良時は休みをいただけていますし、退職を求められた等の不当な処遇を受けているわけでもないです。が上司から下記(発言が具体的に記されている)と言われ、精神的にかなりダメージを受けました。精神的苦痛だけだとマタハラと言えないのでしょうか? 私が言われた内容はマタハラに該当するのでしょうか?
こうした職場の感情的な反発は、例えばその「理由」に業務負担への不満等があるのだとすれば、本来は会社側に向けられるべきものである。だがそうはならずに妊娠した女性労働者にストレートに向けられてしまう。さらに、そうした「理由」さえ見当たらないまま、理不尽な行為にさらされてしまうこともある。ハイリスク妊娠のため配慮を求めたがいっさい得られないまま勤務を続ける女性は、「つわりで脱水症状を起こしても歯を食いしばって出勤」したといい、以下のように訴える。
「私の甘えなのでしょうか。(略)味方が誰もいなくこちらの話も聞かず決めつけで言われ、私の精神も限界です。この環境を変える為には私が耐えて誰かが妊娠したら同じことをしない、その時を待つと思って頑張っていましたが限界です。私が悪いのでしょうか。今までの人たちは悟られないように普通に働いていたそうです。私の場合他の人よりリスクがあります。(略)我慢して働いて私は我儘なのでしょうか。これは普通なのでしょうか。その判断すら分からなくなりました。辞めるしかないのでしょうか」
理不尽な行為に苦しみ、その「理由」を自らの側に見出すしかないところまで追い詰められてしまう。本稿で着目した「マタニティ・ハラスメントに該当するか?」という相談群の特徴のひとつは「自責化」とも言える。「仕事をせずに妊娠出産している私が悪いのでしょうか」「権利を主張するなら努力しろと言われました。自分にも落ち度があると思い、反省しました」「これはマタハラですか? 私の勘違いですか?」「私が感じていることは、ただのわがままなんでしょうか」「これってマタハラに当たるのでしょうか? なんだか愚痴っているだけに思えてきました」「自分が弱いから出社する事も出来ないのか責める日々で、とても苦しい」「これは私が甘いでしょうか。仕方がないことなんでしょうか」等々の「声」である。自分の身体を責め、差別や排除を「仕方ない」と思わされてしまう構造、それ自体が深刻なマタニティ・ハラスメントなのである。
●「ケア不在の身体基準」の理不尽さを主張し、共有する
なぜこのように被害を被害として訴えることが難しく、さらに、差別される側の責任に転嫁されかねない状況が生まれるのだろうか。最後にそのことを確認する。
女性が雇用労働の場で差別や排除の対象とされてきたのは「ケア」と強く結びけられてきたからだ。職場は「ケア」を排除することで効率化、能率化を図ろうとしてきた。ここでは「ケア」を二つの意味で整理する。ひとつは「ケア役割」、すなわち家事・育児・介護を担うという意味で、もう一つは「身体ケア」、すなわち「産む性である」という女性の身体性の問題として、である。この「二つのケアが不在」の労働者モデル(多くの男性労働者にみられるような、ケア役割を担わず、身体ケアを主張しない働き方)が「基準」とされ続ける限り、会社の不当な行為も職場の理不尽な対応も、告発しにくいものとなる。なぜなら「ケア不在の身体」が「基準」とされる職場では、その「基準」から少しでも外れると「職場にふさわしくない者」とされ、排除行為が容認されてしまうからだ。「基準」から外れた側に「非」があるとさえ、思わせることができる。被害の不可視化、自責化が生じる根底には、この根強い「ケア不在の労働者モデル」がある。だからこそ、その「基準」の側を問い直していくことが何より重要となる。不当な行為や理不尽な対応に声をあげることは、「ケアの権利」を職場で主張することに他ならない。「ケア不在の身体」が「基準」とされ続けることのおかしさ、理不尽さを職場で、あるいは社会でどこまで共有できるのか、それが問われている。
(注)
(1)NPO法人マタニティハラスメント対策ネットワーク・杉浦浩美、二〇二〇、『マタニティ・ハラスメント相談活動報告書~マタハラNet 3年半の支援活動と事例分析~』
https://mataharanet.org/wp-content/uploads/
30c883627e49cf98ab9560d1ffecb38d.pdf
(最終アクセス二〇二一年五月一日)
(2)上位三つは「誰かに聞いてほしい・誰かに訴えたい」 六二件、「法的な知識・法的アドバイス」 五六件、「マタハラに該当するか」 四八件であった。
(3)厚生労働省「妊娠・出産等を理由とする不利益取扱いとは」
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/
0000137181.pdf(最終アクセス二〇二一年五月一日)
杉浦 浩美(すぎうら ひろみ)
埼玉学園大学大学院准教授。専門は労働とジェンダー。マタニティ・ハラスメント。
著書に『働く女性とマタニティ・ハラスメント』(大月書店、二〇〇九年、第三〇回山川菊栄賞受賞)、共著に『セクシュアリティの多様性と排除』(明石書店、二〇一〇年)、『なぜ、女性は仕事を辞めるのか』(青弓社、二〇一五年)、『排除と差別の社会学 新版』(有斐閣、二〇一六年)等がある
『アジェンダ 73号』では、「なぜ女性差別はなくならないのか」というテーマに真正面から取り組み、竹信三恵子 和光大学名誉教授をはじめジェンダー問題の論客がさまざまな切り口から日本社会で長年続く女性差別について問題提起しています。