<体験談 Fさん 5>団体交渉を経て復職、それでも終わらない闘い
それまで女であることを意識せず、男勝り(?)で働いていた私でしたが、自分がマタニティハラスメントを受けて初めて、そうした差別行為が日常茶飯事に行われていることを知りました。信じ難いことでしたが、そうしたマタハラの被害者に対し、周囲の人びとが無関心、あるいは非協力的、さらに攻撃的でさえあるというのも紛れもない事実です。
そしてマタニティハラスメントという非道な処遇に直面した時、どうしたら良いのかという相談先、対処方法などがわかりにくく、個々人がもがいて苦しんで模索するしかないのが現状だと思います。
しかも妊娠という、それまで経験したこともない程の自分の心と身体の大きな変化の渦に巻き込まれている状況の下で、です。
それは恐ろしく困難な状況でした。
でもその時私は、女性ユニオンと出会えたことで団体交渉という形をとって交渉し、とりあえず復職することができました。それまで知らなかった女性同士の連帯や助け合いというものを知ったことも、自分にとって大きなことでした。
その後復職をし、週末になると授業の準備、授乳を済ませて夕方出かけ、帰りは夜11時近くという形の勤務が始まりました。乳飲み子を抱えての夜勤務は大変ではありましたが、また教壇に立てるというのは本当に嬉しく、楽しいことでした。1年時に何ヶ月か教えただけで姿を消して2年後に現れた私を、学生たちは覚えていてくれ、歓迎してくれました。半年後の新年度には正規授業に戻ることを信じて、頑張りました。
そして年明け、新年度の雇用について団体交渉を申し入れたところ、教員に欠員がなく、また補習担当だという提示がされました。
それでは話が違い過ぎる!!!
協定書では、新年度の体制については事前に協議する、という内容もしっかり明記されていたのにこの対応でした。
それからまた何年にも渡る闘いが始まるとは、その時はまだ予想だにしないことでした。